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70話 二人の会話

last update Last Updated: 2025-03-01 08:28:52

 その日の夕食の後――

「本当に大したお方ですね、イレーネさんは」

書斎に紅茶を淹れに来たリカルドがルシアンと話をしている。

「何が大したお方だ。ブリジット嬢と友達になったと聞かされて俺がどれだけ驚いたと思っている。全く……これでは心臓がいくらあっても足りなくなりそうだ」

しかめた顔で紅茶を飲むルシアン。

「で、ですが……まさかイレーネさんが、ルシアン様だけでなくブリジット様まで懐柔してしまうとは……クックックッ……」

リカルドは肩を震わせ、左手で顔を覆い隠している。

「リカルド……お前、面白がっているだろう? 大体、懐柔とは何だ? 俺は別にイレーネに懐柔されてなどいないが?」

「そう、そこですよ。ルシアン様」

「何だ? そことは?」

「イレーネさんのことをそのように呼ぶことですよ。今までどの令嬢全てにおいても敬称つきで呼ばれていたではありませんか? ……あの方を除いては」

「……」

その言葉に黙り込んでしまうルシアン。

(しまった。少し余計なことまで口にしてしまったかもしれない)

黙り込んでしまったルシアンを見て、リカルドは慌てたように話題を変えた。

「そ、それにしても私たちがほんの3日留守にしていただけなのに、イレーネさんは既にこの屋敷で自分の地位を築き上げていたようですね。使用人たちが口を揃えて言っておりましたよ? イレーネ様はルシアン様の不在中、立派な女主人を務めておりましたと」

「……まぁ、彼女はあんな細い身体なにのに、肝は据わっているからな」

「ええ。ですからきっと現当主様はイレーネさんのことを気に入ると思いますよ」

「だといいがな。だが、気に入られなくても構うものか。どうせ彼女は1年限りの契約妻なのだから」

(そうだ、一刻も早くマイスター家当主に認めてもらうためにもイレーネを祖父に会わせなくては……)

そして再びルシアンは紅茶を口にした――

****

――翌朝、朝食の席

「え? 来週、ルシアン様のお祖父様に会いに行くのですか?」

フォークを手にしていたイレーネが目を見開く。

「ああ、そうなる。祖父に俺を次期当主に認めてもらうには結婚相手である君を引き合わせなくては話にならないからな。祖父は気難しい男だ。不安なこともあるかもしれないが……」

「御安心下さい、ルシアン様。何も不安に思うことはありませんわ」

「は? い、いや。俺が言ってるのは……」

その言
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     イレーネは上機嫌で型紙を当てて生地を裁断していた。「フフフ……こんなに素敵な布地にハサミを入れるなんて初めてだわ。今までは貰い物か安物の生地で服を作っていたから」 その時。――コンコン扉がノックされた。「あら? 誰かしら?」テーブルにハサミを置くと、イレーネは扉を開けに向かった。「お待たせしました。あら? あなたは確か……」扉を開けると、目の前にはメイドのアナが立っている。「はい、イレーネ様。私は本日、イレーネ様のメイドを務めさせていただきますアナと申します。よろしくお願いします!」元気よく挨拶をするアナ。「アナさんね? はじめまして。こちらこそ、これからよろしくね。でも今のところ、手伝ってもらうことは何も無いので大丈夫よ。何かあるときは呼ばせていただくわね?」笑顔でイレーネは扉を閉めようとしたので、アナは慌てた。「あ! ちょ、ちょっとイレーネ様! お待ち下さい!」「え? 何かしら?」扉をしめかけたイレーネは首を傾げた。「実は、ルシアン様に会いにお客様がいらしています。ですが、ただいまルシアン様は不在ですよね?」「ええ、そうね」「それで、代わりにイレーネ様がお相手して頂けないでしょうか? ルシアン様が不在の今、このお屋敷の代理主人はイレーネ様を置いて他にいらっしゃいませんので」アナの言葉にイレーネは少し考えた。(私はルシアン様と1年間の雇用関係を結んだだけの関係。けれど、それでも仮とは言え妻になるわけだし……)「分かりました、そういうことでしたらお客様のお相手をさせていただきます」イレーネはにっこり笑みを浮かべる。「本当ですか!? ありがとうございます! お客様は居間でお待ちになっております」「あまりお待たせするのはいけないわね。ではすぐに案内してもらえる?」「はい! イレーネ様!」「それで、どなたがいらしたのかしら?」イレーネは廊下に出ると、尋ねた。「はい。その方は……」アナはブリジットの名を口にした――****「……全く、いつまでこの屋敷の人たちは待たせるのかしら。今日はリカルド氏もいないみたいだし……あら? 美味しいお茶ね」ブリジットがティーカップに口を付けた直後……。「お待たせ致しました、ブリジット様」イレーネが居間に現れた。「え? あなたは誰?」突然現れた見知らぬ女性に、ブリジット

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    「ブ、ブリジット様。ほ、本日はどのような御用向きでこちらにいらっしゃったのでしょうか?」本日、ドアマンを勤めるフットマンがビクビクしながら作り笑いを浮かべる。「どのようなですって? そんなことは決まっているじゃない。ルシアン様に会いに来たのよ」きつい目をますます吊り上げるブリジット。「で、ですがルシアン様は本日から出張で不在なのですが……」「そんな嘘、通用するとでも思っているの? 今日こそ会ってもらうまで絶対に帰らないわよ! そんなことよりいつまで客をエントランスに立たせておくつもり? 早く部屋に通しなさい!」我儘伯爵令嬢、ブリジットは強気な態度を崩さない。「か、かしこまりました……」弱気なフットマンは心の中で泣きながら、しかたなくブリジットを応接間に案内することにしたのだった――****「何故、ブリジット様を居間に通してしまったんだ!?」リカルド不在の間、筆頭執事を努めることになった第二執事ハンスの声が詰め所に響き渡る。「そ、そんなことを言われても、相手はあのブリジット様ですよ? 断れるはずないじゃないですか!」半泣きになるフットマン。「全く……! 一体どうすればいいんだ? あの様子ではテコでも動かないだろうな……」事前にブリジットがいる部屋の様子を確認していたハンスは困ったように腕を組む。「それにしても、何故ブリジット様はルシアン様に会いにいらしたのかしら? もうイレーネ様という婚約者がいるのに……」メイド長がため息をつく。「それだ!」ハンスがパチンと指を鳴らす。「何がそれなんですか?」別のフットマンが尋ねる。「イレーネ様だよ。ルシアン様がいない今、あの方がこの屋敷の主人と考えてもおかしくないだろう? おまけに相手はルシアン様に想いを寄せているブリジット様だ。この際、イレーネ様に対応していただくのが一番じゃないか?」「なるほど! 言われてみればそうですね!」半泣きだったフットマンが手を叩く。「でも……大丈夫なのかしら……あの方は時々、大胆な行動を取られるから……」メイド長の顔に不安げな表情が浮かぶ。「だから、なおさらいいんじゃないですか。この際、イレーネ様がブリジット様にはっきり告げればいいんですよ。『ルシアン様は私の婚約者なので、もうまとわりつくのは金輪際、やめていただけませんか?』という具合に」妙に演

  • はじめまして、期間限定のお飾り妻です   64話 気の強い令嬢

    「おとなしく待っていてくれと言われたのだから、ルシアン様が戻られるまでは何処にも出かけずにいたほうが良いわね」ルシアンたちが出かけると、イレーネは少しの間思案した。「そうだわ、生地を沢山買ってきたのだから洋裁でもしましょう」そこでイレーネは鼻歌を歌いながら買ってきた生地をテーブルの上に広げて洋裁の準備を始めた。「どの色の生地で作ろうかしら……」イレーネは、うっとりしながら生地を見つめて笑みを浮かべる。ある人物が屋敷に近づいてきていることも知らずに――****――その頃。マイスター家の扉の前にはある人物が立っていた。「今日こそ、ルシアン様に会わせてもらうんだから! その為に今まで家で必死になってレッスンを受けてきたのですもの!」意気込んでマイスター伯爵家を訪れたのは、ブリジットであった。以前にリカルドに言い含められるように帰らされてから、彼女は家庭教師からの厳しいレッスンをサボることなく受けてきた。そしてようやく堂々と外出する権利を両親から得られることができたのだ。「ブリジット様、それでは私はこちらでお待ちしておりますので」ブリジットの御者兼、付き人をしている青年がエントランスに立つ彼女に声をかける。「いいわよ。ジョージ。あなたは帰りなさい。だって何時にこのお屋敷を出るか分からないじゃない」「え!? ですがそうなりますと、お帰りはどうなさるのですか?」「タクシーに乗って帰るわ」腕組みするブリジット。最近貴族令嬢の間では目新しいタクシーに乗るのが流行になっていた。「タクシーですか……?」ジョージと呼ばれた男性は首をひねる。「ええ、そうよ。この間アメリアと外出したときに、初めてタクシーに乗ったのだけど……」そこでブリジットは言葉を切る。何故なら、町で偶然出会った女性のことを思いだしたからである。その女性というのは……勿論イレーネのことだ。「……タクシーのせいでいやなことを思い出してしまったわ。全く、あの女……あんな貧しい身なりをしておきながらマダム・ヴィクトリアの店であんなに沢山買い物をして小切手を出すなんて……」「ブリジット様? どうされましたか?」背後から声をかけるジョージ。「いいえ、何でもないわ。とにかく、ジョージ。お前は帰りなさい」そう言ってシッシと手で追い払う素振りをするブリジット。ここで彼女に歯向か

  • はじめまして、期間限定のお飾り妻です   63 話 釘を刺す男

     朝食後、書斎に戻ったルシアンはリカルドを呼び出した。「ルシアン様。お呼びでしょうか?」「ああ。リカルド、今日、明日のお前の予定はどうなっている? 何か外出する予定でもあるか?」姿見の前でネクタイをしめながら、ルシアンがリカルドに話しかけてきた。「いえ? 特に外出する予定はありませんが……」「そうか、なら出かけるぞ。お前も準備をしてくれ」「え? 本日もですか? 一体どちらへ行かれるのです?」「祖父のところだ……俺に婚約者ができたことを報告に行くのだ。イレーネにはメイドが……まぁ、日替わりだがつくことが決定したのだから俺とお前が不在になったとしても……多分大丈夫だろう」「え? ええ……そうかもしれませんが、これはまた随分と急な話ですね。どうなさったのですか?」するとルシアンが眉をひそめた。「ゲオルグの奴に先を越されないためだ。一刻も早くイレーネを祖父に紹介し、俺をマイスター家の時期後継者として認めてもらわなければならないだろう?」「なるほど……確かにその通りですね。分かりました。では早急に用意してまいります。ですが当主様に会いに行かれるのでしたら、日帰りは無理でしょうね。何しろ汽車で半日はかかる場所にありますから」現当主であるルシアンの祖父は、半年ほど前に体調を崩して今はマイスター家の別荘で療養生活を送っている。「そうだ。幸い、明日から連休に入る。その間に祖父に会いに行こうと思っている。……全く、電話があれば話は早くて済むのに……」ルシアンがため息をつく。「……仕方ありませんよ。当主様にとって、電話はまだ目新しくて抵抗があるかもしれませんね。では、すぐに私も準備をして参ります」「用意ができたら、また部屋に戻って来いよ」「はい、かしこまりました」そして、ルシアンとリカルドは慌ただしく準備を始めた――****――11時「まぁ、今から『ヴァルト』に行かれるのですか?」イレーネは突然部屋を訪れたルシアンを前に目を見開いた。「ああ。君と祖父を会わせる前に、祖父と話をしてくるつもりだ。俺には君という婚約者ができたということ伝えにな」「ヴァルトは、美しい森林で有名な場所でしたよね。そちらにルシアン様のお祖父様がいらしたのですか」「そうだ。『ヴァルト』にはリカルドも一緒に連れて行く……だから、その……」ルシアンの歯切れが悪くなり、

  • はじめまして、期間限定のお飾り妻です   62 話 あまり変わりない

    「え? 専属メイドをつけて欲しいとイレーネさんが仰ったのですか?」ルシアンの書斎に呼び出されたリカルドが目を見開いた。「そうだ。夕食の席でイレーネが頼んできたんだ。だからリカルド。お前が彼女にメイドを選んでやってくれ」「え? 私がですか?」「ああ。……何か問題でもあるか?」「いえ、問題というか……メイド選出については、私よりもメイド長が適任だと思います。それに相性の問題とか、色々あるでしょうから最終的にはイレーネさん本人に決めて頂いた方が良いのではありませんか?」「なるほど……確かに言われて見ればそうかもしれないな」リカルドの言葉にルシアンは頷く。「よし、それではリカルド。お前の方からメイド長に伝えてくれ」「はい、分かりました」「出来るだけ、早急にイレーネに専属メイドをつけるように言うんだぞ?」(彼女は大胆な性格だ……野放しにしておけば、何をしでかすか分からないからな)念押しするルシアン。「ええ、私もそのつもりでした。お任せください」(イレーネさんにお目付け役のメイドがいれば安心だ。これで我々一同ハラハラすることが無くなるだろう)口にこそ出さないが、ルシアンもリカルドも心の中で似たようなことを考えるのだった――****翌朝6時。イレーネはいつものように部屋で朝の支度をしていた。長い金の髪をブラッシングしていると、突然部屋の扉がノックされる。――コンコン「あら? 誰かしら?」ブラシを置くとイレーネは扉を開けに向かった。「はーい、今開けますね……え?」扉を開けたイレーネは驚いた。何故なら目の前にはメイド長を筆頭に、20人近いメイド達が勢揃いしていたからである。「あの……これは一体……?」イレーネは目をパチパチさせると、メイド長がにっこり微笑んだ――****――8時「イレーネ……今日は遅いな。いつもなら7時半にはダイニングルームに現れるのに」テーブルに向かい、新聞を読んでいたルシアンは壁の時計を見た。「まさか、また何か問題でも起きたのか?」(何しろ彼女の行動は全く読めないからな……部屋に様子を見に行った方が良いだろうか)思わず立ち上がりかけた時。「ルシアン様、おはようございます。お待たせしてしまい、申し訳ございませんでした」イレーネがダイニングルームに現れた「あ、ああ。おはよう。それでは食事にしようか

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